2015年8月23日日曜日

お金をもらうということ

どうも、Extreme放置ブログPlanet boys管理者のQです。

何かあったってわけじゃないけど、今までやってきたことで、自分は稼げるか?というのがすごく気になるようになった。学生の時から、やったりやらなかったりでモタモタしつつも、やっぱり何となく続けるつもりのプラネタリウムQ-star、楽器やらなんやらでこそこそ動いてる趣味ラボSCL、とか。
こういう趣味的なことに限ったわけじゃなくて、単に仕事においても同じだと思う。

お金を稼ぐというのは何だろうか、という話。

お金を手に入れるだけなら、仕事やアルバイトから、ギャンブルや株、転売屋、果ては犯罪を犯す人までいるわけで、つまるところ生きるためには必要な行為なんだろうなぁとは思います。 でも、多くの人か確実に立ち止まってるはずなんですよね。

生きるためにお金を手に入れて、で、どうするんだっけ?

個人的な持論ですが、20代後半に多くの人が絶望や挫折をすると思っていて(自分ももちろん例外ではない)、結局早い話が上の問題なんだと思う。とりあえず仕事と呼ばれることをしている、だけなんじゃないか、って立ち止まる日が来るんですよね。あれ、自分なにしてるんだっけ、とか。生きるために、というよりも、死なないために、あるいは取り急ぎ目の前のことを片付けるために、何かしている。
勿論、人の命を預かるような仕事とかだとそんなこと言ってられないでしょうが。

25-30歳、って現代日本の平均的な人生において、1/3が終わったってこと。しかも最後の1/3は最初の2/3に対して色々な意味で制約が多いので、純粋に1/3とは言えないはず。ちょっとした人生の焦燥感が見え隠れしだす頃なんじゃないかと。

そして、もう一度最初の疑問に戻ると、お金を稼ぐって何なんだろう、という話。

紆余曲折あって、今それなりに楽しい仕事をしてますし、相応に満足してますが、やっぱり心のどこかが満たされていないんですよねーw



で、ある日思い立った。Q-starでお金を貰わない、というのは良くない、ということ。趣味だろうと何だろうと、きちんとお金を貰えということ。

なぜかって、それは、金払ってでも一緒に仕事をしたい、何かを実現したい、そう思わせるものを、自分は作ってこなかったから。そういう人間に、なろうとしなかったから。
どんなに面白いものを作っても、そこにお金の動きがないんだったら、最後は無責任。いや自分はそのつもりはなくても、そこに立って生きていると証明してこない人は、信頼するのが難しいわけですよ。

お金を稼ぐ、ってのは、自分の存在意義を、作ったものの価値を、定量化して見せろ、ってこと。科学の基本ですよね。むしろ、昔の人達は、何とかして価値を定量化するためのツールとして貨幣を生み出したんかじゃないかとすら思う。

どんなにショボいと思ってても、お金が動くんだったら、自分はその分の何らかの存在意義を宣言しているに等しい。 お金を稼ぐっていうのは、生きるためではなくて、自分が生きていることを証明する、ということなのだ。

まあ、あんまりケチになったり欲を出したりすると、おかしなことになるので、ここは正当な価値を示す、という前提が付くけどw


プラネタリウムQ-starとか、その他仕事とかもろもろ。価値がないわけでも、意味がないわけでもなかったのだ。最大の課題は、自分の存在意義が定量化されてしまうことにビビっている、自分のチキンさだったっていう話。

そういえば山月記っていう物語があったね。

まあなんていうか、反省を込めて。

2015年8月7日金曜日

ピンホール式手作りプラネの原板

どうも、Qです。




ずーーーっと前に投稿して、ほったらかし状態の手作りプラネ
http://planet-boys.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html
ですが、8月中にとあるイベントに協力することになったので、新原板を突貫で作りました。

 実は8/20、河口湖20時付近用に作ったものですが、同じ緯度なら日本だと大体変わらないです。九州まで行くとさすがに違いますがw
ちなみに9/20だと18時位、7/20だと21時位に相当します。

基本的に作り方は上記リンクを参照してほしいですが、特に変わるところはないです。むしろ折角なんで、カシオペアとか北斗七星とかはくちょうとか入れちゃいました。比較的わかりやすい奴や、天体観測なんかすると知っておくと便利な星座を入れてますが、ヘルクレスとか正直よくわかんないと思いますw

いい機会なんで、そろそろプラネ作り再開します。正直、Q-star-AHの時にはなかった技術や知識が付きまくってるので、今なら、それなりに納得できるものを作れる気がします。

さあやるぞーー!!