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2017年4月21日金曜日

生きてます

なんかすごい期間放置してたのだけど、知人から見ましたよとか言われ、とりあえず生きてる証明をするために記念に書いておく。

特に書くことはないけどw


でもなんかいろいろ疲れてるなーと思ったので、ちょっと休みが欲しい。何も考えずにボーッとする時間が失われるのはやはり長い目で見ると良くないのかもしれない。最近趣味とかに全く時間割いてないし。

ちょっとしばらく、色々ほどほどにしようと思う。なんか元気になったら、また頑張る。

2015年8月23日日曜日

お金をもらうということ

どうも、Extreme放置ブログPlanet boys管理者のQです。

何かあったってわけじゃないけど、今までやってきたことで、自分は稼げるか?というのがすごく気になるようになった。学生の時から、やったりやらなかったりでモタモタしつつも、やっぱり何となく続けるつもりのプラネタリウムQ-star、楽器やらなんやらでこそこそ動いてる趣味ラボSCL、とか。
こういう趣味的なことに限ったわけじゃなくて、単に仕事においても同じだと思う。

お金を稼ぐというのは何だろうか、という話。

お金を手に入れるだけなら、仕事やアルバイトから、ギャンブルや株、転売屋、果ては犯罪を犯す人までいるわけで、つまるところ生きるためには必要な行為なんだろうなぁとは思います。 でも、多くの人か確実に立ち止まってるはずなんですよね。

生きるためにお金を手に入れて、で、どうするんだっけ?

個人的な持論ですが、20代後半に多くの人が絶望や挫折をすると思っていて(自分ももちろん例外ではない)、結局早い話が上の問題なんだと思う。とりあえず仕事と呼ばれることをしている、だけなんじゃないか、って立ち止まる日が来るんですよね。あれ、自分なにしてるんだっけ、とか。生きるために、というよりも、死なないために、あるいは取り急ぎ目の前のことを片付けるために、何かしている。
勿論、人の命を預かるような仕事とかだとそんなこと言ってられないでしょうが。

25-30歳、って現代日本の平均的な人生において、1/3が終わったってこと。しかも最後の1/3は最初の2/3に対して色々な意味で制約が多いので、純粋に1/3とは言えないはず。ちょっとした人生の焦燥感が見え隠れしだす頃なんじゃないかと。

そして、もう一度最初の疑問に戻ると、お金を稼ぐって何なんだろう、という話。

紆余曲折あって、今それなりに楽しい仕事をしてますし、相応に満足してますが、やっぱり心のどこかが満たされていないんですよねーw



で、ある日思い立った。Q-starでお金を貰わない、というのは良くない、ということ。趣味だろうと何だろうと、きちんとお金を貰えということ。

なぜかって、それは、金払ってでも一緒に仕事をしたい、何かを実現したい、そう思わせるものを、自分は作ってこなかったから。そういう人間に、なろうとしなかったから。
どんなに面白いものを作っても、そこにお金の動きがないんだったら、最後は無責任。いや自分はそのつもりはなくても、そこに立って生きていると証明してこない人は、信頼するのが難しいわけですよ。

お金を稼ぐ、ってのは、自分の存在意義を、作ったものの価値を、定量化して見せろ、ってこと。科学の基本ですよね。むしろ、昔の人達は、何とかして価値を定量化するためのツールとして貨幣を生み出したんかじゃないかとすら思う。

どんなにショボいと思ってても、お金が動くんだったら、自分はその分の何らかの存在意義を宣言しているに等しい。 お金を稼ぐっていうのは、生きるためではなくて、自分が生きていることを証明する、ということなのだ。

まあ、あんまりケチになったり欲を出したりすると、おかしなことになるので、ここは正当な価値を示す、という前提が付くけどw


プラネタリウムQ-starとか、その他仕事とかもろもろ。価値がないわけでも、意味がないわけでもなかったのだ。最大の課題は、自分の存在意義が定量化されてしまうことにビビっている、自分のチキンさだったっていう話。

そういえば山月記っていう物語があったね。

まあなんていうか、反省を込めて。

2015年7月23日木曜日

ニコニコ超会議、自転車、そしてNT金沢

どうも、Qでつ。

Extremely 放置ブログでした。とりあえず生きてますw
いい加減、リセットしたいので、ここ数か月の書こうと思ってかけてなかったことをとにかく駆け足でぶっこんでおく。


 もう数か月前になりますが、ニコニコ超会議に出展してました。













もう大分昔の感があるんですがw当時まだMievしかなかったので自分はほぼ撮影係でしたね。とはいえ




こっそり自分も演奏してたりしますw来年はやりたいことがあるので、来年も参加する気です!


で、そのあと訳あって広島、岡山にGW行ってたんですが、帰りに自転車で返ってきましたw厳密には倉敷から東京までですね。特に写真などはありませんw


 適当ですが、大体こんな経路です。途中磐田で事故ってどえらい目にあったのですが、まあとにもかくにも走り切りました。確か750Km、6日くらいかかったと思います。まあ東京-大阪間は一回やってみたかったので、いい経験になりました。
実はこの旅はクロスバイクで行ってて、ロードバイクはそのあと買ったという。や、正直ロードバイクは本当に走るのに特化してるので、非常に軽快に走れます。長距離走るなら、有無を言わずロード買った方がいいです。
 ま、まあクロスバイクは一種の戦友みたいな感じになりましたが。


で、つい先日7/19-20と金沢に突撃して、SCLでNT金沢に出展しました。



vocalochip maker's として?活動してる真時雨さんや離陸Pさんと一緒にやってました。




で、僕らの出展ですが、一つは歌う楽器Miev、そしてもう一つが、演奏支援付の琴です。


何となくわかるかと思うのですが、琴の弦の下にLEDを仕込んで、音ゲー風に光らせることでいつ、どの弦を弾けばいいか教えてくれる装置です。以前、
http://planet-boys.blogspot.jp/2013/10/blog-post_29.html
で出した、キーボードにLEDくっつけて音ゲー風に表示する機能を、琴に応用したものです。正直、琴なんて習ったこともないんですが、なんとなくそれっぽく弾けるようになるので、案外悪くないもんなんじゃないかと思ってたりしますw
まだ色々問題点があるので修正してますが、もうちょっと直したら動画でも上げようと思います。

あと、実はコスプレしてましたwまあどんなコスプレだったから調べようと思えば調べられるので割愛wここでは内製のミクヘッドセットだけ提示。


 既存のヘッドセットにミクヘッドセット風の飾りを取り付けられるように加工しました。CNC様様です。これを付けていたSCLメンバは大変お気に召されたようですwこれももうちょっと修正したらそのうちどっかにupしようかなーとか思ってます。

そういえばNT金沢でヒゲキタさんに見つかったw




とりあえずやっと現状まで追いついた・・・取り急ぎ。ちゃんと定期的に書く癖をつけるか。
いい加減、プラネ作るよ。キーになる部分ができるとついつい放置するのは悪い癖w

2015年1月3日土曜日

2015年の幕開け


どうもQです。

この年末、広島と愛媛に架かるしまなみ海道を自転車で横断しておりました。

2014年の元旦に尾道に行き山寺巡り的なことをしたのですが、山から瀬戸内海を眺めたときちょうどしまなみ海道が見えて、しかも自転車で渡れると聞き、一度わたってみたいと思っていたのです。最初天候不順等懸念されましたが、実際の行程では青空が広がり、非常に気持ちの良い旅となりました。

旅の行程は、
呉市まで電車で移動

フェリーで松山へ(友人と合流)

松山ウロウロ(松山城とか道後温泉とか)

今治で宿泊

31日夜明け前に今治出発

約6時間かけしまなみ海道横断

尾道で尾道ラーメンを食べて解散

その他道に迷ったり別に移動することがあったので、トータルで120-130km位は移動したんじゃないかと思います。自転車乗りってわけでもないので、二日で100-150km位を見ておくのが無難なのかなぁと感じました。

普段こんな長距離乗ることはないので気づかなかったのですが、自転車に長時間乗るときは栄養補給が極めて大事ということがわかりました。実は体はガス欠を起こしていても、何となく走れてしまうので、気が付くのが遅れがちになります。多々良大橋前後は、道の駅で食べ損ねると当分何もなくなるので、きちんと準備しないと悲惨なことになるのかも・・・
自分たちの場合は、何とかコンビニまで持ったので良かったですが。

どうでもいいけど、スパイシーチキンがめちゃくちゃうまかったw自転車に乗りながらスパイシーチキンってどうなのよ、と思うところも無きにしも非ずですが、カプサイシンが脂肪の燃焼を助けてくれるので、きっとスタミナ強化につながってます。多分。

というわけで去年手に入れた自転車が値段以上に優秀であるということが分かったし、結構自転車で長距離走るのは楽しいぞ!と思ったので、余裕があればまたちょくちょくあちこち行ってみようと思います。

 呉市から松山へ
非常にいい天気

 松山城とか道後温泉とか
道後温泉は千と千尋の神隠しのモデルにもなっているらしい
確かに言われてみればそんな気も・・・
ちなみに風呂自体は普通の銭湯でしたw
休憩してみないと本当のところは分からないかもですね

 
道中で見た2014年最後日の出

 本当は既にこれくらい明るいw

道間違えたのでドーン!したw

多々羅大橋にて
愛媛と広島を隔てる橋で、真ん中がちょうど県境
この橋の完成を以て、しまなみ海道は完成したらしい。
しまなみ海道は約四半世紀に及び長大プロジェクトだったんですなぁ

尾道にて
これにてしまなみ海道完走!
とてーも気持ちよかった。
お尻痛かったけどw


決してアクティブなタイプじゃないんですが、自転車が趣味ってのも悪くないなと思いました。
そして趣味ラボSCLにも新たな動きが・・・。
2015年は、2014年以上にヤバくなりそうです。

今年もよろしくお願いいたします。

2014年9月27日土曜日

CNCが届いた

どうも、Qです。

 色々遅れがあったみたいですが、ついにCNCが届きました。届く前は、うっひゃーCNCだぁ!!くぁwせdrftgyふじこlp;だったのですが、いざと届くとですね、困るのですよw

場所がない。マジで狭いw

いやまあ何をいまさらって話。
プラネやらSCLやらで使う用途はたまってるので、早期立ち上げを目指して試験運転をします。



何はともあれ、今日また可能性は広がったのである。

2014年4月25日金曜日

SNSと射幸心

どうも、Qです。

何を今さらな話。

mixiから始まり、twitterやfacebookといったSNSを毎日のように見ていたのをふと思い出した。
そろそろ全部いきなりぶった切って一年が見えてきた。今のところ、残ったのはブログだな、と。

何が違うのかって言うと、結局のところ射幸心との時間的、もうちょっと具体的には作業的、手間的な距離なんだろうな、と思う。SNSはあまりにもその距離が近すぎる。『なんとなくなにかやった感』、を得やす過ぎるのだ。



結局のところ、なぜ書くのか、というと大体は、
自分の行為、所感、能力等が社会のおいて認識されていることの確認
なのではないだろうか。
何を隠そう、今書いているこの文章さえ、僕は、誰かに読まれていて、何がしかの印象がその人に残されることを期待している。

つまりこの確認作業を簡単にしよう、というアプリケーション、ユーザインタフェースこそが、SNSというものの本質ではないか。


なぜLikeボタンを押すのか。それは、認識されてる、ということが一種の幸福感を得ることができる、もしくは不幸感を避けることができる状態であることを、今まさにLikeを押そうとしているその人が知っているからなのではないか。


そんな風に考えると、人間には射幸心があると仮定するならば、認識による幸福感への慣れと更なる渇望を生むはずだ。
結果は、小さな認識による幸福感のために、簡便なインタフェースであるSNSの中毒になる。そして最後は疲れる、とw


いや全くまとまりのないことを書いてしまったが、あくまで個人的に到達したのは、自分が周りや社会に認識されているかどうか、を容易に確認できてしまう手段はあまり持たない方が良いのかもね、という結論。



2014年2月14日金曜日

無線LANのAP

どうも、Qです。

なんがネットが繋がりにくいなぁ、と思って無線LAN環境を調べてみて驚愕した。実に周囲に約30個もAPが立ち上がってるw酷過ぎwwもう空いてるチャンネル無いし、おそらくAutoになってるであろうAPのチャンネルがずっとフラフラしてるし・・・

大体同じMACのAPから何個も無線LAN吹きまくるのはどうなのよ。しかも、明らかにこれデフォルトのまんまのSSIDだろ、ってのがわんさかいるし、酷いのはセキュリティがOpenときたもんだwただ乗りされるならまだかわいいもんで、同じ無線LAN配下のPCのセキュリティが甘かったら、そのPCの中身覗かれることだってありえるよ。
多分、本当に必要なものとして使われているSSIDは半分くらいしかなくて、あと殆どはとりあえず無線AP買ってきて放置みたいになってるんじゃないかと。

簡単に使えるのは大事な事だけど、こりゃちょっと酷すぎませんかね。無線LANの規格団体は、速くする方じゃなくて、効率的に分配する方向を重視してほしいんだよなぁ。こんな状況下で11nだの11acだの、チャンネル広げる方向に進んでるのは正直「えぇ~・・・」である。
(いや勿論考えてるだろうけど、多分日本の都会みたいな過密化がやたらに進んでいる国特有の現象で、世界一般にはそう大した問題にはなっていないのかな・・・)

一応5GHz帯に逃げるという方法もあるが。


ちなみに僕は無線とかカラキシで、こういうサイトの受け売りをしているだけであるw
http://www.pc-master.jp/internet/wireless-lan-d.html
電磁気学はビオ・サバールの法則位は知ってるが、知ってるだけであり、悲しいことこの上ない。

2013年10月20日日曜日

青春とかいうもの

どうも、Q in 新幹線です。
最近激務?です。二重生活気味です。

色々ありますが、何か立ち上げたりするつもりなら、色々な出会いとかチャンスを取りにいかないといけないんだろうなあ、等と。
まあ、その甲斐があって一つ二つ位は面白いことができそう。

それはさておき、今日電車に乗っていた時、目の前の高校生らしき男女組が、
「高校生ってこんなに大変だと思わなかった」
とか
「もっと青春できるんだと思ってた」
とか言い合ってた。
そして、手には恐らく友人宅で集まりでもするのであろう大量のお菓子。

君達、全くわかってないw後5年、10年もすれば、ああそれってとても貴重な時期だと思うんじゃないかなw
楽しいって何か、とかそもそもそういう時間が過ごせるっていうのはどう言うことか、とか。
日々、計算しながら活きていかなきゃいけない時がくるんだよね。

いや、単なるオッサンの世迷いごとでしたw僕はあまりそういうああ青春だったって思える物がないんだよな~等と。

2013年10月7日月曜日

保険とVLAN

どうも、Qです。

保険とVLANが何の関係があるんだって話ですが、何の関係もございません。単純に最近疾病保険に入ったってのと、安いVLAN対応L2スイッチが売ってたので買ってちょっと試してみたってだけです。


なんで今更疾病保険なんだって話ですが、まず生命保険は僕が死んだあとの受取人なんていないので不要だということは分かりますwそりゃ結婚でもしてりゃ話は別ですが。
別に昔から病気や怪我は、特に入院や通院が必要になると困るよなぁとは思っていて、そのための保険だけはなんとかしとこうと思いつつほったらかしになってました。が、先に野犬に追いかけられた件があったり、たまにボルダリングに行ってたり、なんてことを考えるとちょっとは考えておいた方が良いかも、ということで加入しただけの話です。

そんな個人的都合はともかく、現在の勤務先の建物、よく保険のお姉さんがウロウロしてるのでこの際なので色々聞いてみた。で、到達した結論は、積立型(いわゆる戻ってくるタイプの)保険はあまり価値がなさそうってこと。

例えば積立型生命保険500万円を10年契約したとする。すると10年で払い込む保険料は大体550-600万位になる。そして10年目で500万が戻ってくる。一見掛け捨てじゃないから良かった~に見えるのだが2点ほど考察すべき点がある。


1.掛け捨て型10年契約との比較
勿論どんな保障をしてくれるのか、によって変わるので一概に言えないのだが、よくよく計算してみると掛け捨て一時金タイプで10年を考えると、保険会社に支払った金額自体はあまり変わらないor若干安い。
10年で550万払い込んで550万返ってくるタイプだとすると、実質50万保険会社に支払ったのと同じ。掛け捨てはもっと簡単で、月4000円の契約をすれば大体10年で50万ということになる。
(ちなみに30歳手前位のイメージなのでw)
30歳で月4000円の契約って結構な契約だったりするw勿論色々考える所はあるが、多分「何かあった時にもらえる一時金は500万を超える契約」が可能だと思う。
従って、10年経って自分の手元に残るお金、という意味でも、10年の間に何かあって貰えるお金、という意味でもあまり変わらない、もしくはむしろもっと良い、ということになる。勿論税金があるので、もう少し難しい感じになりそうではあるけど・・・

個人的にはこれは極めて気に入らない事実だ。なぜなら、保険会社にとって会社にプールできるお金は、客が積立型に入ってくれた方が圧倒的に多いので、その分プール資金による運用益は出やすいはずなのだ(というかそれがそもそも保険の始まりだった気が…)だったら、普通は沢山プールが期待できる積立型のほうが割が良くなきゃおかしいのだが・・・


2.同じ10年なら年金積立等、一定期間後に+になって帰ってくる保険がある
1.で示した前提で行けば、大雑把には保険会社に月44000円払うか、4000円払うかの違いとなる。掛け捨て型に入って浮いた40000円をどうするか、といえば例えば年金積立のようなものを契約する。すると10年経って解約しても、ほったらかして老後を待っても、大体支払った金額以上の戻りがあることになる。まあ厳密には10年じゃ+にはならないかもしれないので、年金以外のサービスだってあるわけだからその辺は適当に選べばよいと思う。

例えばなのだが、一時的に相応の金額をプールする、というタイプの保険がある。この手の保険はたった数年で元本より+になるので、一つの戦略として、
最初の3年は浮いた40000円を財形みたいな比較的少額貯金の時に利率が良い(として扱える)もので貯金する⇒3年経ってある程度の金額になったら上記の大金プール型の保険に加入する、そしてまた3年財形⇒保険、更に3年財形⇒するとあら不思議、10年で同じ保障なのにトータルで支払ったお金に差が出てしまう。
上記の500万モデルで、今の利率とかで行くと、10年で10-20万円位差がでると思う。

勿論、自信があるんだったら財形じゃなくて、投資信託とか株式配当を狙うみたいな方法でもいいと思うけどね、個人的には、リスク回避の保険をかけてその一方で金銭的リスクとるのもどうなのよ、と思ってしまうが…

上で重要なのは、結局お金をプールするのは保険会社であることだ。保険会社の破綻リスク、は積立だろうが掛け捨てだろうが変わらない。だったら、掛け方を変えたほうがまし、ということである。分散したほうが低リスク、という見方もできるのでその辺は好みだけど。


しかしなんだかなぁ、と。何も考えずに、わーい戻ってくるぞー積立だ―wっていうほうが幸せなんじゃないか、と思うんだよなぁ・・・。気づくことが、知ることが必ずしも幸福には寄与しない気がしてならない。





そして、全く話は変わってVLANに対応するスマートスイッチ、またの名のインテリジェントスイッチ、を買いました。分かりやすく言うと高機能なL2スイッチイングハブ。

買ったのはこれ。
http://www.planex.co.jp/product/switch/sw-f2/

 下のやつ、
上に乗ってるのは2000円のブロードバンドルータ

しかし、Planexは攻めるなぁとつくづく思う。まさかこんな値段で新品でVLANやQoS設定、snmpが設定できるL2スイッチを出してるとは。ちなみに単に実験したいことがあっただけだったので、たたき売りされてる100MbpsのI/Fの本器を買ったのだが、ほぼ同じ定価で1GbpsのI/Fのやつも出てるみたいです。
コンソールポートが無いけど、実はIPアドレス持っててweb経由で色々設定できます。僕はポートVLANとかの実験がしたくて買いました。結果は良好。欲しい結果を得ることができました。

まあ一般的な家庭でVLANが必要な事なんてほとんどないと思いますがオヌヌメですwちなみに知りませんでしたが、いわゆるブロードバンドルータって普通のルータ、即ちネットワークアドレス変換デバイスとしても機能してくれるのね…ずっとPPPoEを吐いてISPにセッション張りに行くことだけが目的とか勝手に思ってましたw




ちなみに仕事は10月になって色々楽になるかと思ったら、全然なりませんでしたwま、まあそれでも夏よりは色々調整しやすいのでなんとかはなるのだけどね。

2013年9月15日日曜日

肉食系(犬)

どうも、肉食系に追いかけられたQです、こんにちわ。

まあ、肉食っていうか雑食系だと思いますが、また犬に追いかけられましたwまあ今回は、前回を学習して、すぐに「狩猟結界:犬ディメンジョン」から脱出可能な所にいたので、大したことはなかったのですがね。こっちも追いかけられる前に、あ、いるwって気づいてすぐに脱出体制にはいってましたし。
しかし、僕ってそんなに旨そうに見えるんだろうか?どっちかというと不味そうな部類だと思うんだが…

会社の上司から、いやぁモテモテじゃないですか、とか言われたが、せめてモテるんならホモサピエンスの♀にしてほしいんだが、残念ながらそっちの方は誤差ε程度の可能性しかない。

ちなみにこの場合のεってのは打ち上げに成功したロケットの方じゃなくて、
「0を除く、ある任意の実数の絶対値|δ|より必ず小さい実数の絶対値|ε|が定義できる」
的な意味(意訳)でのεになります。



もはや表題とは何の関係もないが、なんかtwitterやらfacebookやらやめて、必要な連絡以外全部しなくなったので、鬱死寸前という扱いになっているらしいwいや、まあいずれ鬱死はする気がするが、別に今そういうわけではない。

ただ、とにかくどーでもいいのである。例えば、仕事が楽しいとか辛いとか、あーしたいとかこーしたいとか色々あるもんなのだと思うのだが、結局はどこでなにが動いているのかわからない歯車の中の一つに過ぎないということだ。多分、その歯車が一つ二つとれても特に影響はないwいや、困る人は居ると思うけど。

結局どうしたいの?というのが、一般的にでる疑問なのだが、これって割と聞いちゃいけない疑問な気がしてて、普通はどうしたいかで物事は決まってなくて、どうしてきたかで物事は決まってると思う。

平たく言うと、「もう終わったでしょw」と諦めてるwいや、今から出世を目的にしたりとか決めることはできないことは無いのだと思うのだけど、その結果はお給料が増えます、でしかない。そりゃ給料は沢山欲しいが・・・あーうんそうね、にしかならない。で、結局何を生み出したんでしたっけ?とか。
尖った人材とか期待されてる(されてた)らしいのだけど、正直もう大体わかってて、期待外れでしたよね~とwあとの人生は土下座と泣き落としと褒め殺しでお願いお願いだけ。いや勿論本当に土下座や泣き落としなんかしたらウザいだけなので文字通りの意味ではないけど。

分かりやすく言えば、いい子でいれば会社が無事である限り飼ってもらうことはできますし、うまくやればそれなりにかわいがってもらうこともできます、ということである。そして多分それって、程度の差はあれど、どこかの会社が特別なんじゃなくて大体そうなんだと思うのだよね。飛び出す勇気と実力があればと思うが、そんなもんも才能もどうやら僕にはなかったみたいだし、今から叩こうにも、そうじゃない部分で忙しすぎてそんな暇はやっぱりないのだ。


従って、もうどーでもいいから、早く引退したいのである。これが、どーでもいいの答えである。どんなキャリアを?どんな人生を?どんなことを?問いは沢山あれど、どの道やることは全部土下座外交といい子ちゃんである以上、何もしたくないが答えになるに決まってるじゃんというw

勿論上記に忙しいと書いてあるように、仕事自体はやってるのだけどね・・・。一応クズはクズなりにいれば何とかなるもんで、役に立ってる面もあるっぽいけど。

2013年9月3日火曜日

人生の短さについて

どうも、Qです。

最近、仕事でとある案件を抱えて大きく変、すなわちBig strangeだったのだが、いや別に僕は決してstrangeではないが、とにかくヤマは越えたのである。

そんななか、人生って短いな、と感じて、人生って短いですね、と言ったら、随分哲学的なことを悩んでるね、と言われたのだ。はて、そんなに哲学的な事なのだろうか?

まず人生を100年と仮定する。
 但し人生100年と言っても、決して100年そのまま生きていけるわけではない。

例えば、子供の時は、大人のような体力・経済力・知識・人脈その他諸々がないだろう。そもそも学校やらなんやらで、子供って暇なようで実はそうでもない。ていうか、暇なのではなく、時間の使い方を知らないのである。勿論僕のように、こんな時間にこんなクソブログを書いている、僕のような大人になっても時間を有効利用できないのもいるが。

話がそれた。

次に老化。少なくとも今の段階で老化を止めることは不可能だ。仮に18-25歳位を体力的全盛期とすればどうだろう?

なんて考えてみると、実は人生で「そこそこ思うようにできる期間」、って多分18-45歳位なのかな、なんて思ってたりする。そこで、このそこそこ期間を仮に「実人生1年」、とする。
次に、0~18歳を、0歳を実人生0年として、18歳で1年になるように毎年比例して増えていく、と仮定すると(脳の学習具合を考えるとかなり無茶な仮定だとは思うが…)
 0-18歳は実人生9年分である。

同様の考え方を今度45歳(実人生1年)から100歳(実人生0年)として考えてみる。すると約28年。

さて、上記を全部足すと、人生でそこそこ思うようにできる期間=実人生は、実は60年位しかない。人生100年とした内の40年はどこへ行った!

つまりである。無茶苦茶な暴論だが、人生100年と言っても、そこそこ思うようにできる人生の長さは実質60年位なのである。

これ、どう感じるか、だが、18-45歳の期間で、3年掛かること、は人生では20回しかできないってことになる。5年掛かることは12回だ。勿論、スポーツ選手みたいに、人生の前半と、後半で 同じことがそもそもできるわけない場合とかあるし、一度達成したことはノウハウが溜まるからもっと早くできるようになると言える。

まあそういう例だと分かりにくいので、1チャレンジ3年としよう。僕のプラネなんかはまさにそうだった。0からおっぱじめて丁度3年で本来の目標に達した。 そういう意味でいうと、あのプラネレベルの挑戦は僕の人生で20回しかできない。実際には作り始めたのが21歳くらいだから、すでに実人生11年なくなってるわけで、今の年齢考えるともう40年位しかないんだよね。すると、残り13回だ。

僕は無縁だろうが、更に多くの人は普通に生きていけば様々なしがらみの中で生きていくことになる。18-45歳、即ち実人生でもっとも重みが大きい期間を、よくわからんことで消耗してしまう・・・


なーーんて考えてたのだ。そんなに哲学的な話ではない。
ただ、よく考えなきゃいけないのは、人生の中でチャレンジできる回数はそんなに多くないし、タイムリミットも意外と早いんじゃないかな、ということ。あと、さっさとチャレンジして、さっさと失敗した人のほうが、残りのチャレンジ回数が多い上に経験が増えるから、色々と有利かなーとか思ってたり。

そして上に書いときながらなんだが、残念ながら失敗から学ぶ~とかって割とだめかもねw良く失敗が云々~みたいな美談があるけど、あの辺の人達の失敗は何となく質が違う気がしてる。まああれだ、愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶってやつなのかもね。

とわいえ、僕はこれは言いすぎwだと思っていて、せめて愚者は経験にすら学ばない、普通の人は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ、位にすべきだと思うw



色々書き散らしてしまった。しかし、昔は、プラネ作って認められたい、位の最低でも承認欲求はあったんだが、最近それすらなくなった。なんか色々どうでもいい。すごい忙しいとは思うけど、忙しいと感じる何かがなくなったんだよなぁ。そして今日も帰宅後一人、部屋にこもる。

なんかこう、満たされないっていうアレ?あれすらないw 楽しいってなんだっけ?とかね。いや、今日もランニングしたし、ちょこちょこいろんな作業は進めてる。が・・・最近、自分の理想は、失踪して誰も知らないところでこっそりスローライフなんだってことに気付いてしまったw

まあ多分、それでいいんだろう。早く、人生から降りたい。別に死にたいという意味ではないがw

2013年8月17日土曜日

野犬に襲われたの巻

どうも、Qです。


諸々やっつけて、明け方位にランニングしてたら、野犬に襲われた。何とか逃げ切ることができたので、噛み付かれたり怪我とかはしてないが…

てか、マジヤバかった。冗談抜きで動物愛護とか言ってる場合じゃない。いきなり4匹の得体のしれない野犬に囲まれ吠えられたら結構焦る。後から調べたら、かなり前からずっと問題になってて、噛み付かれたり病院沙汰になってる人もいるじゃない・・・
多分アドレナリンが出てたんだと思うんだが、結構状況は覚えてる。



まず、いつものランニングコースを半分程走ったところで、草むらから一匹謎の野犬が吠えながら走ってきた。決して大型犬の部類ではないので、一匹だけだったらこっちから威嚇するなり無視するなりどうとでもなりそうなんだが、すぐに2匹、3匹と増えた。

最終的に4匹。大体こういう感じになる。

   野犬⇒  野犬⇒
野犬⇒        野犬⇒
      僕⇒

----------------------
      川

ちょwwww普通に追い詰められてるw明らかに群れで襲い掛かる為の統制されたやり方だった。なんかやたらに攻撃的だし、そもそも持久力や敏捷性で勝てる相手じゃないので、「攻撃が始まる前に野犬が追いかけるのを躊躇する場所へ逃げる」という判断した。大体の状況は、
--------------
道路
--------------
土手
--------------
        |
     100m位?
        |
-------------フェンス
      現場
---------------
    川

って感じだったので、車が走る道路に逃げれば確実に追ってこないと思った。問題は100m逃げ切れるか、だ。


野犬が群れで襲い掛かるのは、一対一では決して勝率が高くないから、だと思う。実際、一匹に照準を絞って攻撃をするふりをしたり怒鳴ると、ビビッて距離を取ろうとすることに気が付いた。

というわけで逃げきるための手順は、100m走りながら攻撃圏内入った野犬を威嚇する、距離を稼いで再び走る、というものだった。


まず走ってる方向を一気に転換して、フェンスを飛び越えた(対して高くなかったのが救い)。野犬にとっては障壁だったみたいで、ここで少し距離を稼げた。あと、気が付いたら一匹は少し離れた場所に位置するようになった。


で、逃げ続けてたとき、焦りながらも、おお、と感心してたのは、「必ず囲む」ということ。
だいたいこんな感じ。

進行方向↑
         ←回り込む
          野犬
↑並走
野犬   僕

       ↑追走   
       野犬



      野犬

おいおい、これはじゃれたりとかじゃないよ、完全にハンティングだよ!!
ともかく逃げるw


で、一つわかった。人間が「その時出せる限界の速度で走れる距離は100-200m程度」。多分筋肉内に蓄えられてるエネルギー源の容量のせいなのだが、よくパニック映画とかで逃げてる最中に転ぶのがあるが、あれホントw

映画で見てるとなんでwと思うが、明らかに筋肉が付いていけないタイミングが来る(なんとなく脱力した感じになる)。で、案の定転んだw
草むらだったのと、上記の威嚇の方法で距離を稼げるのは分かっていた、あと土手まで数m位だったので威嚇しながら何とか逃げ切った。

道路まで降りたら、一匹が雄たけびを上げて諦めたようだ。まあそりゃそうだ、乗用車に轢かれるリスク負ってまで人間一人を追っかけるような真似はしないだろう。


というわけでなんとか無事逃げ切れたわけだが、えらく疲れた。完全にランニング分の体力使い果たしたので歩いて帰った。




まあ犬には特に興味がないので単に迷惑な話ではあるのだが、その一方で狂犬病対策等の関係で、野犬が一度根絶に近い状況になった日本で、こんなのがいるってのはおかしな話なんだよね。どう考えたって、何らかの都合で野犬化した、ってのが正しいと思う。
実際噛まれればなんかの病気にかかる可能性は普通の家畜以上にあるわけだし、ほっといたらまずいでしょと感じる一方で、人間の勝手な都合も多々あるんだよなぁと。駆除すりゃいいとも思えん、というか、多分本質的な解決になってない。

まあ、僕は政治家でもなければ動物愛護団体でもないので、自分も野犬もやばくならない方法で、護身の方法を考えるしかないのだけど。

2013年7月26日金曜日

富士山登ってきた

どうも、Qです。

タイトル通り、先日富士山行ってきました。世界遺産登録されてからいくなんて、なんてミーハーなやろーだ、と思われるかもしれませんが、もっと前から計画はしてたんですよwたまたま重なっただけです。

今回、会社の知人と一緒に行ったのですが、僕も相手も登ったことがないということで、じゃあ行こう!的なノリで登ることになりました。とはいえ、相手は剣岳に上ったことがあるような猛者ですし、自分も4泊5日で縦走登山とかやったことがある、という前提ではありますけどね。やっぱり3000m超える山なんで空気薄いですし、ずーーーーと登りっぱなしとかなんで、舐めてかかるのは辞めたほうがいいです。


富士山っていくつか登り口があるんですが、今回僕らは御殿場口から登りました。理由は二つで、

1.登山者数が少ない
2.帰りに大砂走りがある これは最後まで見てくれれば分かりますw

まあ登山者が少ないのはそれなりに理由があるからで、標準登り行程が8時間(但し結構遅めに計算してるみたいで、僕らは6時間位だった)、高低差2300mと非常に長いこと、ある程度の高さに行かないと山小屋やトイレが無いこと、があります。しかも、砂利道をずーーーっと登りっぱなしなんで、天気が良ければいいですけど、霧に巻かれると飽きますw案の定霧が出ました。

ご来光見たかったので、山小屋泊をしたのですが、小屋は結構良かったですね。やっぱり人が来る小屋なんでそれなりに潤ってるんだと思います。が、繁忙期は二人掛けの布団に四人がギュウギュウ詰めとかなるみたいですが。僕らは意図的に混む時期を外していったので、そういうことはなかったです。

しかし、肝心のご来光は雲にやられて見れず、残念。


個人的な考察としては、富士山は、登る山ではなく下る山である、ですかね。はっきり言って登りはだるいですw薄い空気の中を延々とジグザグに歩いていくだけなので、割とすぐ飽きます。しかし、下りは・・・それは写真を見てご判断頂きたく。わざわざ面倒な御殿場口を選んだのもこれが理由です。ほかの登り口はこうはいきません。

全力で走れるように体力・筋力を鍛えてから行くべきです。とりあえず登る、なんて発想では勿体ないです。


というわけで例のごとく写真。

 
  御殿場口コース7-8合目付近の山小屋からの写真
雲に映る三角形の影は富士山の影です。


 山小屋で、夜こっそり抜け出して撮った写真
さすがに赤道儀持っていけないのでこの程度…
富士山でみた星空はこんなもんじゃないです。
マジで感動しますよ。
ちなみに1枚目の明るい所は山火事に見えますが、駐車場ですw



 富士山山頂にてご来光待ち
残念ながら雲に邪魔されて太陽は拝めませんでした…
天気自体は超良かったんですけどね。


 富士山山頂でヒャッハー!!w
一見ヤバい写真に見えますが、ちゃんと生きてます。


 日が昇り切った後の富士山山頂からみた下界


 富士山山頂の須走口側
富士山山頂ってこんな感じなんですわw
とても3700mの高さにいるとは・・・



 富士山山頂からの下り
御殿場口下りは、山頂から雲の中を一気に突っ切って
突っ走って下るのです!
ものの1,2時間で登山口まで着きますよ。
大砂走りの名の通り、砂利が深いので気を付けて走れば大体大丈夫です。
これ超楽しかった。また行きたい。このためだけに行ってもいい。


 今回のお気に入り

山小屋から雲と下界を背景に登ってくる人々
なんかあれね、アプルスのウンチャラみたいなw
 でも本当にこういう所を歩くんです。

 夜こっそり起きて魚眼で撮った写真
右の大きい白点は月、隣のオレンジの点は照明です。
富士山の雲の上からみた夜の景色が上手く表現できました。

ご来光待ち
多くの登山者が日が上がるのを待っています。

 富士山山頂、その中でも最も高い所から撮った火口と雲
空に浮いてる島みたいに撮れたのでお気に入り

 下り、大砂走りを8合目から一気に雲のなかへ突っ込んでいきます。

2013年7月16日火曜日

ボルダリングしてきた

どうも、Qです。

腕が痛い。指も痛い。
なんでって、ついさっきボルダリングしたきたから。


異動前に、とある後輩からボルダリング楽しいっすよ、みたいなこと言われてて、ふむふむ、位には以前から思っていた。そして、こっちに来てからの仕事のライン上の上司にあたる人が普段からやってる、というので、お互いノーザンギョーデーだし、いい機会なので付いてってみた。

ボルダリングって何って、壁に凸凹が付いていて、その凸凹に手や足を引っ掛けて壁を登って降りる。基本こんだけ。が、侮るなかれ、基本的には勿論筋力や持久力が必要なのだが、これ、やってみると「制限時間付きの詰め将棋」みたいなのである。

壁にはたくさん凸凹が付いているが、好き勝手に使っていいってわけではなくて、使っていい凸凹は限られているのである。初級者向けは、手は制限ありで足はどこを使ってもOK、上級者向けは、手足両方とも制限される。そして、一旦登り始めると、思うように手足が動かせない、かつ使っていい凸凹が分からない(よく見えない)のである。

これが意味するところは、闇雲に登ると、力技で登らざるをえなくなって無駄に体力を消耗したり、途中で文字通り「詰む」のである。従って、登り始める前に、凸凹の盤面を読む必要がある。ここでjはこんなふうに体をひねって、こうなったらあそこに手をかけて・・・いや待てよ、あの石はこの向きに体重はかけられない、一旦反対側の石に足をおかなければ・・・てな具合である。

まあ実際には、どう見ても慣れの問題があるし、相応の握力も必要だし、あと上り方そのものにもコツがあるっぽい。なるべく腕を伸ばして全身の筋肉を上手く使う、壁面に体を近づけ過ぎないとか。そんなのも含めると、詰め将棋、もっと生々しく表現すると、「筋力パズル」である。

いい運動・筋トレ、そして頭の体操になるので、今後たまに行こうかな、と思う。いや、まあそれはいいのだが、一点だけ要注意。


ボルダリングは明らかに日常生活では使わない筋肉を酷使する。特に、握力に対する影響は甚大だ。何が言いたいかというと、そろそろキーボードのタイピングがキツイ。そして、腕が妙に火照っている。これでは明日は、箸を持つのすら危ういw

初めてのボルダリングを、日曜日~木曜日に行くのはやめておいた方がよい。ほぼ確実に、翌日の仕事や学業に多大な支障が出る。 

2013年7月14日日曜日

仕事と成長

どうも、Qです。

SCLに寝泊まり中。なんかこう、秘密基地にこっそりいるような感じが良い。どこか童心に帰る何かがある。そういや、会社の先輩から「君、無邪気だよね・・・w」と言われたような気がするが、細かいことは気にしない。童心に普段から帰ってるような気もするが、気にしない。



何かあったわけでもないけど、何となく書きたくなったので、たまには真面目な話。

4月から仕事が大きく変わって、超過密スケジュールになった。もうほんと、テトリスケジュール。一日が予定で埋まっても、予定はビッチョンビッチョンって消えないけどwだから大変。マジで泣きたくなるほど大変。メール書いて速攻で資料よんで、とにもかくにも打ち合わせ打ち合わせ。与える影響が全然前より大きいところにいるので、もちろん神経も使う。

そして、気がついたら一日が終わる、みたいなのが日常になった。もちろん無駄な残業は許されない。前の部署とは大違いだ。 でも意外と生きてる感があったりする。意外となんとかなるもんだと思う。


今の部署に来るとき、すごく心配された。直接の上司、指導者、先輩、同期に後輩・・・リアルの僕を知ってる人なら察しがつくと思うのだが、まあ色々無茶や無謀・失敗を僕は(無自覚に)やらかすので、今の部署みたいな影響範囲が大きくなりやすいところは特に心配されるのだろう。いや、まあ実際失敗がないわけじゃないwむしろ結構やらかしてるww

自分で言うのも変な話だが、異動する前の年には「成長」せざるを得ない、ということがあった。国際会議に行ったり、インターン生の指導をしたり、とある案件が収束したり、色々あったのだけど、これらの強く頭に残ってることは、ある一つのことが共通している。


仲間がいる。


それは、「居る」という意味でもあるし、「要る」という意味でもある。どれだけ同じ方向を向いているだろうか、どれだけ同じ目的をもっているだろうか、どれだけ相手の言うことが信頼できるだろうか、とか色々思うところはある。でもいずれにしろ仲間がいる。

仕事が苦しい、というのはどんな時かな~なんて考えると、時間的に辛い、肉体的に辛い、能力的に辛い、これらはまあ当然生じうることだ。所詮仕事だしね。
でも、僕が過去に苦しいと思っていた理由は、その三つではなかったように思う。


仲間がいない(or仲間であるべきはずの人が仲間だと実感できない)


一緒に戦ってくれる人や協力してくれる人達である。これを泣き言と捉えるかどうかは、聞き手の判断に委ねざるを得ない。自業自得や、運が悪い、なんて意見もあるだろう。でもこれ、重要だと僕は思う。仲間がいなくて済むのは、趣味や妄想である。別に居たって良いけど、いなくても困らない。つまらなきゃ、やめりゃいいだけだ。

仕事はそうはいかない。プライドや信頼みたいな属人的な問題もあるし、生計問題や家族がいれば生きるか死ぬか問題にだって発展する。
つまり、「仕事」という「概念」は、 ヒト一人の手に余る存在なのだと思う。全部自分で頑張ってる、なんてのは、他人の支えに気づいていない愚か者か、本当にそうなら常人ばなれした存在か、あるいは本当は大したことは何もしていない、のだ。


細かいところを見ればもっと色々あるだろうし、僕自身が気づいていないのもあるだろうけど、僕は少なくとも、役に立ちたくても役に立てない僕に色々教えてくれた先輩と、ホンの小さな成功だったけれども諦めかける僕を最後まで根気強く面倒見てくれた上司には、頭が生涯上がらないだろうな、と思う。
 
異動の前日は夜中の3時まで延々説教されたwいっつも口論になってしまう上、その後まんきつなんかに泊まったもんだから、実は言われたことはあんまりよく覚えていないwが、一つだけ絶対守ろうと思っているのは
「小さなことでも、どんな相手でもいいから、自分が貢献するっていうのを示せ」
ってこと。


あと、多分彼らは当然のようにやってるから気づいていないかもだが、なにかをやれば必ず何かを返してくれる人、そういう人間を信頼するように、人間ってのはできてると思う。
僕なりに思うところは、信頼ってのは

「ファイトー!」「いっぱーつ!」

であるwファイトー!って言えば、必ずいっぱーつ!って帰ってくる。メールなり、電話なり、とにかくなにかやれば、かならず何かを返してくれる。そういう人がいるかいないか、って考えると、仲間がいるかどうかってものすごく大事なことなんだよなと思う。

仕事ってあちこちに崖があるのだ。いや、崖しかないといった方がいい。「ファイトー!」「いっぱーつ!」って言い合える仲間がいるか、その安心感が超重要。

というわけで、 僕も彼らの真似をして、ちょっとでも自分にかかるメールや電話、依頼とかがあれば、小さなことでも気づけばすぐ返すようにしてる。信頼ってのは、「稼ぐ努力」が必要だ。仕事上の小手先の要領なんて、どうせ多少の知ってるか知ってないかだけの差でしかない。そんなの、冷静に考えたら当たり前の話だったりするのかな、なんてね。

当たり前を当たり前にする、って超ムズい。それに気づいてからがまさに仕事だねぇ、なんて思ったりしたのだ。「大したこと」は「小さなこと」の積み重ねである。



・・・まあ但し、頭の片隅には「36計逃げるに如かず」という言葉を入れておくべきとも思うけどね。最後は、言っても仕事は所詮、仕事。「貢献する義務」はあっても「犠牲になる義務」はない。




※ブログに長い文章を書く奴は、大体面倒くさい奴らしいwまあ確かに僕は面倒くさい奴だなwww

2013年6月6日木曜日

特に何ということもなく

どうも、Qでえす。

唐突なんですが、twitterもmixiもfacebookも全部やめました。なんというか、突然もういいやという感じになった。

mixiはもはやなんで始めたのか覚えてない上に使ってなかったし、twitterやfacebookは始めた時の理由とは縁もゆかりも無くなってしまった。プラネタリウムとかなんの関係もないw いずれも数年使ってて(たまに離れてたりしてたけど)、SNSが元で何か新しいアイデアや仕事って生まれましたか?って問われるとうーん・・・なのである。

結局、有名人、それなりにパワーのある立場のある人、そしてリア充のためのツールであって、社会の末端にいる僕にとってはそんなに有用なツールでもないんだよな・・・という感じ。その割に一度見出すとなんだかんだ時間とるしね。実は異動する前にも、社内facebookみたいなのがあったんだけど、異動を転機にそっちをやめてなんか困ったか、と言われるとなーんにも困らなかった。

ぶっちゃけ、用事があれば、結局メール書いてくれた方がありがたいかも・・・一応profileに書いてあります。



とかなんとかかんとか色々あるんですが、まあもうちょっとストレートに言うと、一人でいるときは外界との接点はなるべく絶とうと思った、ってのが正確な所。情けない話だが、やっぱり僕はいわゆるリア充ではないので、リア充のためのツールを見ててもあんまり楽しくないのである。
そういうツールを使ってればリア充気取りができるような気もするのだが、やっぱりなんか違うよねーと。

やはり僕は孤独と不可分な人間なのだ。年取ったせいか色々経験したせいか、多少その辺に折り合いをつける術も学んだ実感はあるけど、それはあくまで「術」でしかない。必要なコミュニケーションは、必要な場所、相手と十分に採る。そうじゃないときは、一人の時間を徹底したい。
有名とかアピールとかやっぱ興味ない。やるなら、隠れ家的が一番。表舞台のキャッキャウフフに僕の出番はないw

とはいえ、なんか作ったり、報告・告知的なことをすることもないわけではないので、ブログはたまに更新します。多分、ブログを数週間に1回更新するのと、各SNSを見てるのって、時間対効果が何となくブログのほうが高い気がします。
何がしか話をするときって、ブログ見てもらった方が早いし、ブログ見てから話しに来る人が多かったんだよね。facebookやtwitterからって多分今までほとんどない。色々書いたりしてたにも関わらずw


そんなかんじ。

というわけでとりあえず今エアードーム作ろうとしてます。サンプルもOKそうなので、多分問題なく作業は続くでしょう。何度かプラネ持ってったりしたけど、やっぱりエアードームあったほうがいいよねと前から思ってて、じゃあいっそ作っちまおうと。置く場所は・・・まあ何とかなるでしょうw

2013年5月5日日曜日

SSなゴールデンウィーク

放置がぶっちぎりだったので、多少なりとも引き戻したいQです。こんちには。

 ブログで報告する必要あるんだろうか・・・とは思いつつ、今関西です。一ヶ月前より異動になりました。一応予定では、2年位こっちにいることになるらしいです。


 適当に写真漁ってたらほんの少し前に、ペンションクヌルプってところに行ってました。



上の写真見て、なにがしか気づく人もいるかも知れませんね。昔から一回行ってみたかったのです。ミシシッピマッドケーキ、食べましたよ。旨いです、お勧めです。

 ちなみに、一人です。勿論一人旅ですとも。某主人公みたくガールフレンドと一緒だなんて、そんな度胸もありませんし、相手もいません。

というか、たまたま行くことができた、から予定の隙間をぬって行ってきただけなんですけどね。実際料理もおいしいですし、オーナーさんも気さくな方でしたし、おいしい日本酒は飲めるし(真澄頼みました) 、駅まで送迎もして頂けるので良いですよ。



ゴールデンウィークは、前半にニコつくに行ったり、とある件で同僚と会ったり、披露宴二次会に行ったりで神奈川~千葉にいました。予定が済んでからは、まさに退廃の日々、超が付くほど家に引きこもってました。

冗談抜きで、ずっとネット見てゴロゴロしてました。金も使わないし、おなかも減らない。音楽すら聞いてないですね。鬱病にでもなったのか、と思われそうですが、別にそういうわけでもないです。鬱っぽいのは昔からですし、自力で鬱発症なんてきいたことはございません。多分、それが自分の素、なんじゃないかな。


会社入ってから以来、いや、おそらく大学の時くらいから、頭の中はずーっと何かしてなきゃいけない、何かに追われてなきゃいけない、すべての行動にロジックと目的が必要で、少し先を見越しながら・・・みたいな感じでした。じゃあそんなに生き急いで行動してたか、というとそういうわけでもなかった。ただただ、気持ちだけが焦る。そんな中で更に異動で、環境も変わる。
 
体というか頭というか心というか、なんかパンクしそうだというのは前から気付いてて、じゃあいっそ、全力で引きこもろう、と。多分摂取カロリー一日あたり1000kcalもなかったんじゃないかな・・・。布団と机以外に行き来したのはトイレとキッチン位です。総移動距離100mもないでしょう。
そういうダメな感じの休みを送ろうと、事前に決めてました。


ちなみにネットではSS?とか呼ばれるのをずーーーーーーっと見てました。すごい長いのもあれば、10分で読み終わるのもある。これ面白いな、と思ったら結構有名な人だったりで、新鮮でしたね。文字ばっかり一日中追いかける、なんてやったことないです。

かなり面白かったです。現在進行形じゃなく、アーカイブされている既に完結しているものばかり見てたので、アーカイブされる程度には面白い、ものばかり見てたってのもあると思いますが。
昔、2本ほどギャルゲの類のゲームをやったことがあるので、個人的にはああいう文体や書き方に抵抗はないです。界隈では結構有名みたいなのですが、同僚女とか黒髪娘とか面白かったです(書き手同じだろ、っていうw)
ググればすぐ出てくるので、興味ある人は読んで見るといいかも。結構長いのでそれなりに時間は必要ですが。



そんなこんなでゴールデンウィークもあと残すところ一日となりました。こんなに「憂う」ことのない連休は久しぶりかもしれません。ちょっと良かったと思ったのは、意味のないことや気まぐれレベルの物事を、ただ受け入れるとか、ただただ楽しむ、みたいなことが自分はまだできるのだ、ということですかね、いつのころからか忘れましたが、確かにそういう感受性のスペクトルみたいなのがものすごく狭くなっているような気がします。ま、大人になるってそんなもんかもしれませんが。


そろそろ、現実に戻ろうかなと思います。