2013年7月26日金曜日

富士山登ってきた

どうも、Qです。

タイトル通り、先日富士山行ってきました。世界遺産登録されてからいくなんて、なんてミーハーなやろーだ、と思われるかもしれませんが、もっと前から計画はしてたんですよwたまたま重なっただけです。

今回、会社の知人と一緒に行ったのですが、僕も相手も登ったことがないということで、じゃあ行こう!的なノリで登ることになりました。とはいえ、相手は剣岳に上ったことがあるような猛者ですし、自分も4泊5日で縦走登山とかやったことがある、という前提ではありますけどね。やっぱり3000m超える山なんで空気薄いですし、ずーーーーと登りっぱなしとかなんで、舐めてかかるのは辞めたほうがいいです。


富士山っていくつか登り口があるんですが、今回僕らは御殿場口から登りました。理由は二つで、

1.登山者数が少ない
2.帰りに大砂走りがある これは最後まで見てくれれば分かりますw

まあ登山者が少ないのはそれなりに理由があるからで、標準登り行程が8時間(但し結構遅めに計算してるみたいで、僕らは6時間位だった)、高低差2300mと非常に長いこと、ある程度の高さに行かないと山小屋やトイレが無いこと、があります。しかも、砂利道をずーーーっと登りっぱなしなんで、天気が良ければいいですけど、霧に巻かれると飽きますw案の定霧が出ました。

ご来光見たかったので、山小屋泊をしたのですが、小屋は結構良かったですね。やっぱり人が来る小屋なんでそれなりに潤ってるんだと思います。が、繁忙期は二人掛けの布団に四人がギュウギュウ詰めとかなるみたいですが。僕らは意図的に混む時期を外していったので、そういうことはなかったです。

しかし、肝心のご来光は雲にやられて見れず、残念。


個人的な考察としては、富士山は、登る山ではなく下る山である、ですかね。はっきり言って登りはだるいですw薄い空気の中を延々とジグザグに歩いていくだけなので、割とすぐ飽きます。しかし、下りは・・・それは写真を見てご判断頂きたく。わざわざ面倒な御殿場口を選んだのもこれが理由です。ほかの登り口はこうはいきません。

全力で走れるように体力・筋力を鍛えてから行くべきです。とりあえず登る、なんて発想では勿体ないです。


というわけで例のごとく写真。

 
  御殿場口コース7-8合目付近の山小屋からの写真
雲に映る三角形の影は富士山の影です。


 山小屋で、夜こっそり抜け出して撮った写真
さすがに赤道儀持っていけないのでこの程度…
富士山でみた星空はこんなもんじゃないです。
マジで感動しますよ。
ちなみに1枚目の明るい所は山火事に見えますが、駐車場ですw



 富士山山頂にてご来光待ち
残念ながら雲に邪魔されて太陽は拝めませんでした…
天気自体は超良かったんですけどね。


 富士山山頂でヒャッハー!!w
一見ヤバい写真に見えますが、ちゃんと生きてます。


 日が昇り切った後の富士山山頂からみた下界


 富士山山頂の須走口側
富士山山頂ってこんな感じなんですわw
とても3700mの高さにいるとは・・・



 富士山山頂からの下り
御殿場口下りは、山頂から雲の中を一気に突っ切って
突っ走って下るのです!
ものの1,2時間で登山口まで着きますよ。
大砂走りの名の通り、砂利が深いので気を付けて走れば大体大丈夫です。
これ超楽しかった。また行きたい。このためだけに行ってもいい。


 今回のお気に入り

山小屋から雲と下界を背景に登ってくる人々
なんかあれね、アプルスのウンチャラみたいなw
 でも本当にこういう所を歩くんです。

 夜こっそり起きて魚眼で撮った写真
右の大きい白点は月、隣のオレンジの点は照明です。
富士山の雲の上からみた夜の景色が上手く表現できました。

ご来光待ち
多くの登山者が日が上がるのを待っています。

 富士山山頂、その中でも最も高い所から撮った火口と雲
空に浮いてる島みたいに撮れたのでお気に入り

 下り、大砂走りを8合目から一気に雲のなかへ突っ込んでいきます。

2013年7月16日火曜日

ボルダリングしてきた

どうも、Qです。

腕が痛い。指も痛い。
なんでって、ついさっきボルダリングしたきたから。


異動前に、とある後輩からボルダリング楽しいっすよ、みたいなこと言われてて、ふむふむ、位には以前から思っていた。そして、こっちに来てからの仕事のライン上の上司にあたる人が普段からやってる、というので、お互いノーザンギョーデーだし、いい機会なので付いてってみた。

ボルダリングって何って、壁に凸凹が付いていて、その凸凹に手や足を引っ掛けて壁を登って降りる。基本こんだけ。が、侮るなかれ、基本的には勿論筋力や持久力が必要なのだが、これ、やってみると「制限時間付きの詰め将棋」みたいなのである。

壁にはたくさん凸凹が付いているが、好き勝手に使っていいってわけではなくて、使っていい凸凹は限られているのである。初級者向けは、手は制限ありで足はどこを使ってもOK、上級者向けは、手足両方とも制限される。そして、一旦登り始めると、思うように手足が動かせない、かつ使っていい凸凹が分からない(よく見えない)のである。

これが意味するところは、闇雲に登ると、力技で登らざるをえなくなって無駄に体力を消耗したり、途中で文字通り「詰む」のである。従って、登り始める前に、凸凹の盤面を読む必要がある。ここでjはこんなふうに体をひねって、こうなったらあそこに手をかけて・・・いや待てよ、あの石はこの向きに体重はかけられない、一旦反対側の石に足をおかなければ・・・てな具合である。

まあ実際には、どう見ても慣れの問題があるし、相応の握力も必要だし、あと上り方そのものにもコツがあるっぽい。なるべく腕を伸ばして全身の筋肉を上手く使う、壁面に体を近づけ過ぎないとか。そんなのも含めると、詰め将棋、もっと生々しく表現すると、「筋力パズル」である。

いい運動・筋トレ、そして頭の体操になるので、今後たまに行こうかな、と思う。いや、まあそれはいいのだが、一点だけ要注意。


ボルダリングは明らかに日常生活では使わない筋肉を酷使する。特に、握力に対する影響は甚大だ。何が言いたいかというと、そろそろキーボードのタイピングがキツイ。そして、腕が妙に火照っている。これでは明日は、箸を持つのすら危ういw

初めてのボルダリングを、日曜日~木曜日に行くのはやめておいた方がよい。ほぼ確実に、翌日の仕事や学業に多大な支障が出る。 

2013年7月14日日曜日

仕事と成長

どうも、Qです。

SCLに寝泊まり中。なんかこう、秘密基地にこっそりいるような感じが良い。どこか童心に帰る何かがある。そういや、会社の先輩から「君、無邪気だよね・・・w」と言われたような気がするが、細かいことは気にしない。童心に普段から帰ってるような気もするが、気にしない。



何かあったわけでもないけど、何となく書きたくなったので、たまには真面目な話。

4月から仕事が大きく変わって、超過密スケジュールになった。もうほんと、テトリスケジュール。一日が予定で埋まっても、予定はビッチョンビッチョンって消えないけどwだから大変。マジで泣きたくなるほど大変。メール書いて速攻で資料よんで、とにもかくにも打ち合わせ打ち合わせ。与える影響が全然前より大きいところにいるので、もちろん神経も使う。

そして、気がついたら一日が終わる、みたいなのが日常になった。もちろん無駄な残業は許されない。前の部署とは大違いだ。 でも意外と生きてる感があったりする。意外となんとかなるもんだと思う。


今の部署に来るとき、すごく心配された。直接の上司、指導者、先輩、同期に後輩・・・リアルの僕を知ってる人なら察しがつくと思うのだが、まあ色々無茶や無謀・失敗を僕は(無自覚に)やらかすので、今の部署みたいな影響範囲が大きくなりやすいところは特に心配されるのだろう。いや、まあ実際失敗がないわけじゃないwむしろ結構やらかしてるww

自分で言うのも変な話だが、異動する前の年には「成長」せざるを得ない、ということがあった。国際会議に行ったり、インターン生の指導をしたり、とある案件が収束したり、色々あったのだけど、これらの強く頭に残ってることは、ある一つのことが共通している。


仲間がいる。


それは、「居る」という意味でもあるし、「要る」という意味でもある。どれだけ同じ方向を向いているだろうか、どれだけ同じ目的をもっているだろうか、どれだけ相手の言うことが信頼できるだろうか、とか色々思うところはある。でもいずれにしろ仲間がいる。

仕事が苦しい、というのはどんな時かな~なんて考えると、時間的に辛い、肉体的に辛い、能力的に辛い、これらはまあ当然生じうることだ。所詮仕事だしね。
でも、僕が過去に苦しいと思っていた理由は、その三つではなかったように思う。


仲間がいない(or仲間であるべきはずの人が仲間だと実感できない)


一緒に戦ってくれる人や協力してくれる人達である。これを泣き言と捉えるかどうかは、聞き手の判断に委ねざるを得ない。自業自得や、運が悪い、なんて意見もあるだろう。でもこれ、重要だと僕は思う。仲間がいなくて済むのは、趣味や妄想である。別に居たって良いけど、いなくても困らない。つまらなきゃ、やめりゃいいだけだ。

仕事はそうはいかない。プライドや信頼みたいな属人的な問題もあるし、生計問題や家族がいれば生きるか死ぬか問題にだって発展する。
つまり、「仕事」という「概念」は、 ヒト一人の手に余る存在なのだと思う。全部自分で頑張ってる、なんてのは、他人の支えに気づいていない愚か者か、本当にそうなら常人ばなれした存在か、あるいは本当は大したことは何もしていない、のだ。


細かいところを見ればもっと色々あるだろうし、僕自身が気づいていないのもあるだろうけど、僕は少なくとも、役に立ちたくても役に立てない僕に色々教えてくれた先輩と、ホンの小さな成功だったけれども諦めかける僕を最後まで根気強く面倒見てくれた上司には、頭が生涯上がらないだろうな、と思う。
 
異動の前日は夜中の3時まで延々説教されたwいっつも口論になってしまう上、その後まんきつなんかに泊まったもんだから、実は言われたことはあんまりよく覚えていないwが、一つだけ絶対守ろうと思っているのは
「小さなことでも、どんな相手でもいいから、自分が貢献するっていうのを示せ」
ってこと。


あと、多分彼らは当然のようにやってるから気づいていないかもだが、なにかをやれば必ず何かを返してくれる人、そういう人間を信頼するように、人間ってのはできてると思う。
僕なりに思うところは、信頼ってのは

「ファイトー!」「いっぱーつ!」

であるwファイトー!って言えば、必ずいっぱーつ!って帰ってくる。メールなり、電話なり、とにかくなにかやれば、かならず何かを返してくれる。そういう人がいるかいないか、って考えると、仲間がいるかどうかってものすごく大事なことなんだよなと思う。

仕事ってあちこちに崖があるのだ。いや、崖しかないといった方がいい。「ファイトー!」「いっぱーつ!」って言い合える仲間がいるか、その安心感が超重要。

というわけで、 僕も彼らの真似をして、ちょっとでも自分にかかるメールや電話、依頼とかがあれば、小さなことでも気づけばすぐ返すようにしてる。信頼ってのは、「稼ぐ努力」が必要だ。仕事上の小手先の要領なんて、どうせ多少の知ってるか知ってないかだけの差でしかない。そんなの、冷静に考えたら当たり前の話だったりするのかな、なんてね。

当たり前を当たり前にする、って超ムズい。それに気づいてからがまさに仕事だねぇ、なんて思ったりしたのだ。「大したこと」は「小さなこと」の積み重ねである。



・・・まあ但し、頭の片隅には「36計逃げるに如かず」という言葉を入れておくべきとも思うけどね。最後は、言っても仕事は所詮、仕事。「貢献する義務」はあっても「犠牲になる義務」はない。




※ブログに長い文章を書く奴は、大体面倒くさい奴らしいwまあ確かに僕は面倒くさい奴だなwww