2013年9月3日火曜日

人生の短さについて

どうも、Qです。

最近、仕事でとある案件を抱えて大きく変、すなわちBig strangeだったのだが、いや別に僕は決してstrangeではないが、とにかくヤマは越えたのである。

そんななか、人生って短いな、と感じて、人生って短いですね、と言ったら、随分哲学的なことを悩んでるね、と言われたのだ。はて、そんなに哲学的な事なのだろうか?

まず人生を100年と仮定する。
 但し人生100年と言っても、決して100年そのまま生きていけるわけではない。

例えば、子供の時は、大人のような体力・経済力・知識・人脈その他諸々がないだろう。そもそも学校やらなんやらで、子供って暇なようで実はそうでもない。ていうか、暇なのではなく、時間の使い方を知らないのである。勿論僕のように、こんな時間にこんなクソブログを書いている、僕のような大人になっても時間を有効利用できないのもいるが。

話がそれた。

次に老化。少なくとも今の段階で老化を止めることは不可能だ。仮に18-25歳位を体力的全盛期とすればどうだろう?

なんて考えてみると、実は人生で「そこそこ思うようにできる期間」、って多分18-45歳位なのかな、なんて思ってたりする。そこで、このそこそこ期間を仮に「実人生1年」、とする。
次に、0~18歳を、0歳を実人生0年として、18歳で1年になるように毎年比例して増えていく、と仮定すると(脳の学習具合を考えるとかなり無茶な仮定だとは思うが…)
 0-18歳は実人生9年分である。

同様の考え方を今度45歳(実人生1年)から100歳(実人生0年)として考えてみる。すると約28年。

さて、上記を全部足すと、人生でそこそこ思うようにできる期間=実人生は、実は60年位しかない。人生100年とした内の40年はどこへ行った!

つまりである。無茶苦茶な暴論だが、人生100年と言っても、そこそこ思うようにできる人生の長さは実質60年位なのである。

これ、どう感じるか、だが、18-45歳の期間で、3年掛かること、は人生では20回しかできないってことになる。5年掛かることは12回だ。勿論、スポーツ選手みたいに、人生の前半と、後半で 同じことがそもそもできるわけない場合とかあるし、一度達成したことはノウハウが溜まるからもっと早くできるようになると言える。

まあそういう例だと分かりにくいので、1チャレンジ3年としよう。僕のプラネなんかはまさにそうだった。0からおっぱじめて丁度3年で本来の目標に達した。 そういう意味でいうと、あのプラネレベルの挑戦は僕の人生で20回しかできない。実際には作り始めたのが21歳くらいだから、すでに実人生11年なくなってるわけで、今の年齢考えるともう40年位しかないんだよね。すると、残り13回だ。

僕は無縁だろうが、更に多くの人は普通に生きていけば様々なしがらみの中で生きていくことになる。18-45歳、即ち実人生でもっとも重みが大きい期間を、よくわからんことで消耗してしまう・・・


なーーんて考えてたのだ。そんなに哲学的な話ではない。
ただ、よく考えなきゃいけないのは、人生の中でチャレンジできる回数はそんなに多くないし、タイムリミットも意外と早いんじゃないかな、ということ。あと、さっさとチャレンジして、さっさと失敗した人のほうが、残りのチャレンジ回数が多い上に経験が増えるから、色々と有利かなーとか思ってたり。

そして上に書いときながらなんだが、残念ながら失敗から学ぶ~とかって割とだめかもねw良く失敗が云々~みたいな美談があるけど、あの辺の人達の失敗は何となく質が違う気がしてる。まああれだ、愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶってやつなのかもね。

とわいえ、僕はこれは言いすぎwだと思っていて、せめて愚者は経験にすら学ばない、普通の人は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ、位にすべきだと思うw



色々書き散らしてしまった。しかし、昔は、プラネ作って認められたい、位の最低でも承認欲求はあったんだが、最近それすらなくなった。なんか色々どうでもいい。すごい忙しいとは思うけど、忙しいと感じる何かがなくなったんだよなぁ。そして今日も帰宅後一人、部屋にこもる。

なんかこう、満たされないっていうアレ?あれすらないw 楽しいってなんだっけ?とかね。いや、今日もランニングしたし、ちょこちょこいろんな作業は進めてる。が・・・最近、自分の理想は、失踪して誰も知らないところでこっそりスローライフなんだってことに気付いてしまったw

まあ多分、それでいいんだろう。早く、人生から降りたい。別に死にたいという意味ではないがw

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