2013年7月14日日曜日

仕事と成長

どうも、Qです。

SCLに寝泊まり中。なんかこう、秘密基地にこっそりいるような感じが良い。どこか童心に帰る何かがある。そういや、会社の先輩から「君、無邪気だよね・・・w」と言われたような気がするが、細かいことは気にしない。童心に普段から帰ってるような気もするが、気にしない。



何かあったわけでもないけど、何となく書きたくなったので、たまには真面目な話。

4月から仕事が大きく変わって、超過密スケジュールになった。もうほんと、テトリスケジュール。一日が予定で埋まっても、予定はビッチョンビッチョンって消えないけどwだから大変。マジで泣きたくなるほど大変。メール書いて速攻で資料よんで、とにもかくにも打ち合わせ打ち合わせ。与える影響が全然前より大きいところにいるので、もちろん神経も使う。

そして、気がついたら一日が終わる、みたいなのが日常になった。もちろん無駄な残業は許されない。前の部署とは大違いだ。 でも意外と生きてる感があったりする。意外となんとかなるもんだと思う。


今の部署に来るとき、すごく心配された。直接の上司、指導者、先輩、同期に後輩・・・リアルの僕を知ってる人なら察しがつくと思うのだが、まあ色々無茶や無謀・失敗を僕は(無自覚に)やらかすので、今の部署みたいな影響範囲が大きくなりやすいところは特に心配されるのだろう。いや、まあ実際失敗がないわけじゃないwむしろ結構やらかしてるww

自分で言うのも変な話だが、異動する前の年には「成長」せざるを得ない、ということがあった。国際会議に行ったり、インターン生の指導をしたり、とある案件が収束したり、色々あったのだけど、これらの強く頭に残ってることは、ある一つのことが共通している。


仲間がいる。


それは、「居る」という意味でもあるし、「要る」という意味でもある。どれだけ同じ方向を向いているだろうか、どれだけ同じ目的をもっているだろうか、どれだけ相手の言うことが信頼できるだろうか、とか色々思うところはある。でもいずれにしろ仲間がいる。

仕事が苦しい、というのはどんな時かな~なんて考えると、時間的に辛い、肉体的に辛い、能力的に辛い、これらはまあ当然生じうることだ。所詮仕事だしね。
でも、僕が過去に苦しいと思っていた理由は、その三つではなかったように思う。


仲間がいない(or仲間であるべきはずの人が仲間だと実感できない)


一緒に戦ってくれる人や協力してくれる人達である。これを泣き言と捉えるかどうかは、聞き手の判断に委ねざるを得ない。自業自得や、運が悪い、なんて意見もあるだろう。でもこれ、重要だと僕は思う。仲間がいなくて済むのは、趣味や妄想である。別に居たって良いけど、いなくても困らない。つまらなきゃ、やめりゃいいだけだ。

仕事はそうはいかない。プライドや信頼みたいな属人的な問題もあるし、生計問題や家族がいれば生きるか死ぬか問題にだって発展する。
つまり、「仕事」という「概念」は、 ヒト一人の手に余る存在なのだと思う。全部自分で頑張ってる、なんてのは、他人の支えに気づいていない愚か者か、本当にそうなら常人ばなれした存在か、あるいは本当は大したことは何もしていない、のだ。


細かいところを見ればもっと色々あるだろうし、僕自身が気づいていないのもあるだろうけど、僕は少なくとも、役に立ちたくても役に立てない僕に色々教えてくれた先輩と、ホンの小さな成功だったけれども諦めかける僕を最後まで根気強く面倒見てくれた上司には、頭が生涯上がらないだろうな、と思う。
 
異動の前日は夜中の3時まで延々説教されたwいっつも口論になってしまう上、その後まんきつなんかに泊まったもんだから、実は言われたことはあんまりよく覚えていないwが、一つだけ絶対守ろうと思っているのは
「小さなことでも、どんな相手でもいいから、自分が貢献するっていうのを示せ」
ってこと。


あと、多分彼らは当然のようにやってるから気づいていないかもだが、なにかをやれば必ず何かを返してくれる人、そういう人間を信頼するように、人間ってのはできてると思う。
僕なりに思うところは、信頼ってのは

「ファイトー!」「いっぱーつ!」

であるwファイトー!って言えば、必ずいっぱーつ!って帰ってくる。メールなり、電話なり、とにかくなにかやれば、かならず何かを返してくれる。そういう人がいるかいないか、って考えると、仲間がいるかどうかってものすごく大事なことなんだよなと思う。

仕事ってあちこちに崖があるのだ。いや、崖しかないといった方がいい。「ファイトー!」「いっぱーつ!」って言い合える仲間がいるか、その安心感が超重要。

というわけで、 僕も彼らの真似をして、ちょっとでも自分にかかるメールや電話、依頼とかがあれば、小さなことでも気づけばすぐ返すようにしてる。信頼ってのは、「稼ぐ努力」が必要だ。仕事上の小手先の要領なんて、どうせ多少の知ってるか知ってないかだけの差でしかない。そんなの、冷静に考えたら当たり前の話だったりするのかな、なんてね。

当たり前を当たり前にする、って超ムズい。それに気づいてからがまさに仕事だねぇ、なんて思ったりしたのだ。「大したこと」は「小さなこと」の積み重ねである。



・・・まあ但し、頭の片隅には「36計逃げるに如かず」という言葉を入れておくべきとも思うけどね。最後は、言っても仕事は所詮、仕事。「貢献する義務」はあっても「犠牲になる義務」はない。




※ブログに長い文章を書く奴は、大体面倒くさい奴らしいwまあ確かに僕は面倒くさい奴だなwww

0 件のコメント:

コメントを投稿