2014年4月25日金曜日

SNSと射幸心

どうも、Qです。

何を今さらな話。

mixiから始まり、twitterやfacebookといったSNSを毎日のように見ていたのをふと思い出した。
そろそろ全部いきなりぶった切って一年が見えてきた。今のところ、残ったのはブログだな、と。

何が違うのかって言うと、結局のところ射幸心との時間的、もうちょっと具体的には作業的、手間的な距離なんだろうな、と思う。SNSはあまりにもその距離が近すぎる。『なんとなくなにかやった感』、を得やす過ぎるのだ。



結局のところ、なぜ書くのか、というと大体は、
自分の行為、所感、能力等が社会のおいて認識されていることの確認
なのではないだろうか。
何を隠そう、今書いているこの文章さえ、僕は、誰かに読まれていて、何がしかの印象がその人に残されることを期待している。

つまりこの確認作業を簡単にしよう、というアプリケーション、ユーザインタフェースこそが、SNSというものの本質ではないか。


なぜLikeボタンを押すのか。それは、認識されてる、ということが一種の幸福感を得ることができる、もしくは不幸感を避けることができる状態であることを、今まさにLikeを押そうとしているその人が知っているからなのではないか。


そんな風に考えると、人間には射幸心があると仮定するならば、認識による幸福感への慣れと更なる渇望を生むはずだ。
結果は、小さな認識による幸福感のために、簡便なインタフェースであるSNSの中毒になる。そして最後は疲れる、とw


いや全くまとまりのないことを書いてしまったが、あくまで個人的に到達したのは、自分が周りや社会に認識されているかどうか、を容易に確認できてしまう手段はあまり持たない方が良いのかもね、という結論。



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